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手術前リハビリ

2020年2月13日(木) その2  この日は、自己血の400ccの採取があり、その後、外来、入院受付があったので、終わったのが12時半過ぎ。2時からリハビリの予約が入っていたので、ほんとうは、お肉をしっかり食べようと思っていたのですが、そこまでの余裕がないということで、和食屋さんに妻と2人で行きました。そこでしっかり食べたうえで、病院に戻ってリハビリです。  食道に限ったことではないと思うのですが、最近、術前リハビリはどこもすごく力が入っているようで、術前に体力・筋力がついていると回復が速いっていうデータがあるみたいですね。食道がんの手術は侵襲が大きいという意味ではすごいですから、特に大切なようです。  リハビリで指導されたのは、呼吸と筋力でした。呼吸については、術後に肺の力が落ちるので、基礎を上げておくというのと、あとは、術後の痰出しを楽にすることが目的だったようです。筋力は、術後の回復というか、歩く筋力が社会復帰のスピードを関係ありますから、そこだったようです。日常的に5キロ以上走っているということで、脚の運動は免除になりましたが、そのほかは免除なしでした。  リハビリのメニューとして言い渡されたのは: - 器械を使った呼吸練習 → ゆっくりと吸うときの吸う量を計測する 10呼吸×10回以上 - 腹式呼吸での深呼吸 → 吸って、5秒止めて、吐く 10分以上 - はぁー、はぁー、はぁー、はっ、はっ、はっ、深呼吸、咳2回 というのを4回 (痰出しの練習) が呼吸。筋力は: - 仰向けになって膝を曲げて、おへそが見えるくらいに上半身を持ち上げる腹筋 → まっすぐ20回、斜め右10回、斜め左10回 -  仰向けになって 膝を曲げ、脚を組んで、おしりを持ち上げて5秒停止 → 右脚が上で10回、左脚が上で10回 - 1キロの重りを両手に持って腕の運動 → 腕を伸ばしたまま横に肩まで、方から上に伸ばす、下から肘を曲げる → それぞれ20回ずつ というものでした。器械をつかった呼吸練習は、会社にも持って行き、思いついたときにやりました。ポイントは、吸う前にきちんと吐き出すことでしたね。  この他、握力を測り、右が36キロ、左が32キロとかでした。ま、腕力ないのは昔からなので、格好悪いけれどしょうがないです。握手をするときにはしっかり

自己血、手術前の外来

2020年2月13日(木) (その1)  この日は、手術前の最後の外来が予定されていました。結果としては、外来で先生にお目にかかったのは、セカンド・オピニオンを入れて3回、保険診療というか普通の診察では2回だけでした。  診察の前にあったのが、自己血の採血。手術のときに出血が予想されるので輸血が必要になる可能性があるのですが、その際、他人の血より自分の血のほうが安全なので、事前に自分の血を採っておいて保管しておくとのこと。  白血球が少ないので問題になるのかと思っていたのですが、輸血という意味で必要なのは赤血球らしく、貧血がない(=赤血球は充分?)ということで適用になったのです。  高校生のときに200ccの献血はしたことがありましたが、それ以来、大人になって白血球が少ないことが分かっていたので献血はしたことがなく、400ccなどという採血はもちろん初めてでした。が、別にフラフラもせず。すんなり終わりました。オレンジジュースを飲んで、数日間激しい運動をするなと言われ、自己血は終了となりました。   その後、外来の予約が入っていたので妻と合流。近所のクリニックでもらった大腸内視鏡の結果を受付で渡した後、30分も待たないで、診察室に呼んでもらいました。そこでは、検査では目に見える転移など懸念する材料がなかったということで、あらためて手術の説明を受けました。整理すると: - 部位は胸部下部 - 身体の状態から、開胸・開腹、胸腔鏡・腹腔鏡、ダヴィンチを用いたロボット、どれも可能、かつ、ダヴィンチが使えるように日程を確保してある - 胃管再建、胃温存回結腸間置のいずれも可能 - 部位的に頸部リンパ節郭清を省略する2領域郭清を予定 と言われ、 ロボット、胃温存回結腸間置・胸骨後経路、2領域郭清の方向となりました。もちろん、なにかの事情で開胸・開腹になる可能性、回結腸が使えず、また、胸骨前になる可能性はありますし、2領域郭清も術中迅速病理の結果によっては3領域に変更することは言われました。また、こちらが3領域を希望すれば最初から3領域郭清でも構わないというお話でしたが、そこは手術日までに考えるということとなりました。  こちらとしては、胃管再建により、将来ずっと逆流を心配しながら生きていくのが嫌だというのがこちらの病院に決めた大きな理由のひと

手術・入院前の日常生活

 もともと、2010年の頭くらいから、それなりにジョギングはしていたわけです。で、今回のESD(2019年11月)前あたりから、週末は20キロとか走っていたりもしたのですが、ESD後の追加治療が必要と言われたショックで、しばらく立ち直れず、特に、朝5時15分に起きて5.6キロ走る気力はまったくありませんでした。  少し持ち直したのが年末から年始に帰省をしたときで、RunKeeperの記録を見ると: 12月30日(月) 朝6キロ、夕6キロ 12月31日(火) 朝19.6キロ、夕6.8キロ 1月1日(水)  朝9.9キロ、夕6キロ 1月2日(木) 朝8キロ と地元でしっかり走り、そのあとも、 3日(金) 朝13キロ、夕7.8キロ 4日(土) 朝12キロ、夕7.5キロ 5日(日) 朝14.4キロ、夕8.6キロ と、正月休みにしっかり走り込みました。それもあって、6日(月)の仕事始めからは、また、平日は朝5時15分に起きて5.6キロ、土日は朝20キロ前後、夕5キロ以上、というペースに戻すことができるようになりました。  ESD前は朝30キロ、夕12キロといった休日も11月にはあったのですが、手術前は、走ってもハーフと決めてました。  

ノートPCの購入

 ESDで入院するときには、家にある17インチの大型ノートPCをそのまま持ち込みました。3キロちょっとあるのですが、ESDなんて特にどこか痛くなるわけではないし、過去の経験から、当日または翌日から体力的にはフル稼働できることが分かっていたし、不自由なのも点滴1本だとわかってましたから。実際、つねにそのでっかいPC開きっぱなしだったですし、特になんの不自由もありませんでした。  ところが、追加治療が必要だということが分かった段階で、セカンド・オピニオン、種々の検査と、会社を空けることが多くなることは分かりきっていましたし、また、入院に際して、17インチのでっかいノートがいいのかどうか疑問になりました。で、かなり悩んだのですが、最終的に、13インチでAMDのHPの新しいノートを買いました。それまではDell派だったのですが、どうしてもDellで価格と性能とが折り合わず、AMDの中では高性能のCPUを積んでいるHPが価格とほしい性能とに見合ったんですね。   実際に使ってみると、10キーがないことは、金融業界の人間としては若干不便ですが、ま、なんとかなったですかね。画面が小さいのは問題なのですが、17インチ程度でも、2つの書類を見比べてという作業をするにはそれほど大きいわけではなく、意外と不便ではなかったという感じです。バックスペースのキーが、直感的にいてほしい場所の左側にあり、直感的にいてほしい場所にはエンド・キーがあるというのがたまにストレスになりますが、それ以外はなんとか持ったという感じです。  必要なファイルを持ってくるにはUSBドライブが必要でしたが、11月末に入院するときに256ギガのUSBドライブを購入してあったので、それは問題なかったです。会社の電話も、3リングで携帯に転送されるようにもともとなっているので、そちらも特に問題なしと。

入院前の買い物

 手術の日程は決めてもらったものの、入院の受付はまだという状態だったのですが、準備は徐々に始めていました。よく言われる、タオルとか歯磨きセットとか髭剃りとかは、特段、入院のために準備することはなかったのですが、今回はさすがにパジャマは必要かとは思いました。というのも, 開胸ではないものの、お腹は少し切るので、身体の外側に創口ができるため、前開きの部屋着でなくてはならないと。  嫌だったのは、それに加えて、下着(シャツのほう)も前開きが必要になるということ。わからない話ではないものの、世の中にそんなものが存在するとはつゆ知らず。でも、看護師面談(外来初日)に「介護用品」で売っていると言われ、病院のコンビニにあると。  でですが、結果として、パジャマはGUで2着、下着はメーカーの直販サイトでグレーを2着、それぞれ買いました。2着あれば、家で洗濯してもらってももう1着あるし、下着は、そもそも不要(パジャマの上を直接身につければいい → そのためコットン100%にした)だと思ったのですが、普段着がTシャツにジャージのパーカーなので、そのTシャツの代わりに前開きの下着でもグレーならいいかと思ったんですね。で、これも、必要であれば洗濯してもらえばいいと。ちなみに、下着の前開きは、ボタン部分がマジックテープになってました。介護される側になるのだと考えればなるほどですが、心理的には抵抗がありましたね。  GUのパジャマはそれなりにおしゃれだったので、価格が安かったので、これはよかったです。一応、入院するときにパジャマのレンタルとかあるんですが、他の人と同じパジャマになるのが嫌だったのと、検査で、外来患者と一緒になるとき、つまり、知人に遭遇する可能性のあるときには、パジャマであってもちゃんとした格好にしたかったというのがあります。いずれにせよ、GUのパジャマは大正解でした。裾が長かったので、妻に頼んで裾上げテープで直してもらう必要があったのが少し悲しかったですが。  あとは、室内履き。スリップはダメなのですが、かといって、パジャマにスニーカーは格好悪すぎるとは思っていました。また、病院・介護向けの室内履きも、美意識的に受け入れがたかったのです。これも、ジーユーで適当なスリッポンのズックがあったので、買いました。レンタルもあったのかもしれませんが、これもなかなかナイス

手術前の栄養相談など

2020年2月6日(木)  この日は8時半から腹部エコー。記憶があいまいですが、開門前から並び、自動受付機の受付を済ませてから会社に行き、また病院に戻ったのではないかと思います。   腹部エコーですから、検査着に着替えたんですかね。  その後、耳鼻咽喉科の飛び込みに行くタイミングで妻と合流しました。耳鼻科の受付に、食道のほうからもらったお手紙を出し、待っていたら、ある診察室の前で「もうすぐですよ」が表示され、そちらで待っていたらそれが消え、別のところに表示されるというのがありましたが、1時間もまたずに診てもらえました。  ヘッドレスト付きの椅子に座って、鼻からスコープを入れてもらい、声を出すというやつでした。ここでも「明らかに悪いものはないですね」と言われ、検査は終了しました。  午後、栄養相談があったので、ここから妻とランチ。病院のそばにあるでっかいオフィスビルで、本当は行きたいお店があったのですが営業しておらず、ハワイ風料理店でハンバーガーを食べ、病院に戻りました。  栄養相談では、まず体重測定をしたのですが、BMIが100とか超えた数字がでてきて2度測り直しても同じ。理由は単純で、身長が70センチとかで入っていたんですね。で、ちゃんとした身長を入れなおしたところ、BMI21.5、体脂肪率14.4%など、ほぼほぼ理想的な状況と。で、手術後の食事の注意とかダンピングへの警告などがあって、この日は終了しました。  実は、手術後に食欲がなくなるとか、食べられなくなるとか、都市伝説だと思ってたんですよね、このころは。甘いものに目がないので、口から食べられるようになったら、マフィンとかケーキとか食べまくって、逆に太るんじゃないかと心配していたんです。今から考えると、ほんと、甘かったですね。  検査はこれでひととおり終了。あとは、1週間後の外来で、これまでの検査の結果をきき、また、手術に向けて最終的な決定をすることになってました。

久しぶりに内視鏡

2020年2月5日(水)  いま見てみたら、内視鏡の予約は10時半からでした。「いま見てみたら」というのは、記憶では正午ごろスタートだったのですが、終わってから、コンビニで昼ご飯を買って会社に戻ったので、正午には終わっていたのかもしれません。会社が近いので、まず会社に行き、その後徒歩で病院に向かいました。  耳鼻科に飛び込みで行かなくてはならなかったので、内視鏡の受付をするまえに耳鼻科の受付に行ったところ、内視鏡検査でつかう喉の麻酔をしてしまうと耳鼻科のその検査ができないということで、この日は内視鏡のみ。  内視鏡は、ESDをやった前年11月26日以来ということになりました。ESD後にはレントゲン以外の検査はなかったので。  内視鏡は結構待たされたのですが、それは前の大学病院でも同じだったので、そこはあまり気にしないことにしました。鎮静剤の使用がオプショナルだったので、どんな検査をするのか不安ではありました。というのも、前の大学病院では、鎮静剤で完全に眠っている間に30分間みっちり診てもらっていましたから(もっとも、それでもSM2になるまで見つからず、かつ、浅読みしてたというオチはあるのですが)。  また、こちらの病院では、内視鏡前の喉の麻酔が、のどに溜めておくやつでした。前の大学病院でも昔はそれで、2分貯めておくというのは結構苦痛だったのですが、それはなくなっていたんですね。直前のハッカみたいなやつだけだったんです。ところが、ここでは、あの喉に溜めるやつを3分。これは結構つらかったです。混んでいたのとタイミングが悪かったのがあると思うのですが、これが終わった後で、またしばらく待ちました。  そこで渡される説明書みたいなのに、鎮静剤は「希望者はどうぞ」とちょろっと書いてあるだけで、たとえば初めての人とか、鎮静剤をやってもらったことがない人は、なくてもいいんだと思うんでしょうね。もちろん個人差があるんでしょうけれど、僕は絶対にダメです、鎮静剤なしでは…。  で、ついに呼んでもらいました。前の大学病院での鎮静剤の使いかたを聞かれたのと、喉をどのくらい丁寧に診てもらったかについて質問がありました。前の大学病院では、鎮静剤が聞く前に軽くのどを見て、声を出したりしたあとで意識がなくなったのですが、ここでは、まず鎮静剤を入れてもらいましたが、意識はは

転院後、初外来

2020年2月3日(月)  9時から部長先生の予約。前回お目にかかったときは、セカンド・オピニオンだったので別室でじっくりだったのですが、今回はふつうの外来。少し待っただけで、呼ばれました。地下鉄の始発駅から、夫婦でゆっくり座っていきました。  セカンド・オピニオンのときのこともご記憶だったようで、その場で手術の日程を決め、それに向けた検査を入れていただくことになりました。このあたりは病院によってやりかたが違うのだと思うのですが、こちらでは、その場で、先生が直接に各検査部門にどんどん予約を入れていき、画面上で入れようとすると先になってしまうものについては、先生が電話でねじ込んでいく という感じでした。店員前の大学病院だと、教授先生の外来は2分で済んで、そのあと別室で若い医師がやる「作業」なので、効率的かどうかはともかく、患者の側からするとすごく心強かったです。  若干記憶があいまいなのですが、その日のうちに: - 血液・尿検査 - 頸部エコー - 心エコー(初体験) - 造影CT - (おそらく肺と腹部)レントゲン - 看護師面談 後日分として: - 内視鏡 - 腹部エコー - 耳鼻咽喉科(反回神経) - 栄養相談 - 自己血輸血用血液採取 - 術前リハビリ がバシバシバシっと決まっていき、その中でも、予約ありと飛び込み(順番わからないけれど、行けばやってくれる)というのがあって、なんとなく面白かったです。  ちなみに、食道の手術は水曜日で、日付としては2月26日(水)が提示されました。3月14日(土)に亡父の法事があり、長男としては出席しなくてはならなかったので、(そのときはなにも知らず2週間で退院、すぐに法事ぐらいは行かれると思っていたこともあって)もっと早く手術にならないかお願いしたのですが、自己血の採取後2週間は空けたいとのことで、自己血採取が2月13日(木)だったため、これで確定しました。  なお、回結腸間置を前提としていたので本来は大腸内視鏡が必要だったのですが、12月26日に検査を受けたばっかりだったので、その結果をもらってくればよいと先生に言われました。これは、合間を見て近所のクリニックに電話をしたところ、翌日には用意してくれるとのことだったので、妻に行ってもらうことにしました。  その後、ア

そういえば歯医者

少し戻りますが 2020年1月18日(土) 近所の歯医者に行ってきました。社会人になる前に、右奥の歯の虫歯を治療する際、親知らずを移植していたのですが、その移植した歯の寿命が来て差し歯をしたのが10年くらい前。それ以来、定期的に通って、歯垢をとってもらったりしています。 食道がんの手術を受ける可能性が高いことを伝え、その直前に来る可能性があることもお伝えしましたが、とりあえずはいつもどおり診てもらって、虫歯がないことを確認。歯垢もとってもらいました。このころは手術やむなしというのは覚悟していて、歯科に行かなきゃいけないことも分かっていましたね。

血液内科の外来

2020年1月30日(木) この日は、大学病院で血液内科の予約が入っていたので、朝イチで行ってきました。 先生は開口一番「いやぁー、大変なことになっているみたいで」と言ってくださり、こちらからは、職場に近くて仕事がすぐに再開できることが理由で、食道がんの治療・手術については転院することに決めた旨を伝えました。 必要であれば、そちらの一般病院のほうの血液内科にもデータから紹介状からなんでも書くし、必要なことはなんでも言ってくれと非常にありがたい言葉をもらいました。ちなみに、血液検査そのものは以前の、つまり、赤血球も少なくなる前に完全に戻っていたみたいで、問題ないというか、以前と変わらないとのこと。2005年の骨髄検査で異形成は見つからず、現状は経過観察以外不要なこと等あらためて教えてもらいもしました。 で、転院後になにが必要になるかわからないからと、2月27日(木)の予約を一応入れてくださって、あとは適当に予約変更すればいいからと。ありがたいお話でした。

転院のための紹介状もらう

セカンド・オピニオンが出そろったら、電話で予約を取るように指示されていました。1月29日(水)の予約をとろうと思って、開いているはずの25日(土)に電話をしたのですが、午後だったので受付終了後。27日(月)に電話をしたところ、無事に29日の予約がとれました。 29日に、最後の外来となる大学病院の食道・胃外科に行きました。このときも、教授先生のほか、顔なじみの医師もいらして、ものすごく心ぐるしかったです。教授先生からは、セカンド・オピニオンをお願いしたふたりの先生に最近会ったとも言われ、あら、関心あったのねとも思ったのですが、もう端的に「職場に近いし、一般病院のほうにしたいと思います」と申し上げたところ、ものすごくあっさり「あ、そうですか。じゃ紹介状書きますね」と。これで、2012年5月1日以来のお付き合いだった、この大学病院の食道・胃外科と縁が切れたことになってしまいました。 あとは、待合で待って、紹介状の元(封をするのは会計の裏にある事務室)をもらい、終了。少し感慨がありましたが、ま、少しでしたかね。  紹介状自体はものすごく薄いというか、紙ぺら一枚くらいの感じでした。封がしてあるから中身は(後日まで)分かりませんでしたが。ただ、宛名は、きちんと氏名入りとなってました。 会計を待っている間に一般病院のほうに電話をし、紹介状がある旨を告げて予約をとろうとしたところ、次の月曜日の2月3日(月)の9時からの予約が取れるということだったので、すぐに予約を取りました。こうして、手術前患者にステップ・アップしたのでした。

転院を決意

セカンド・オピニオンを2か所から取得して、手術を受けることはもう腹をくくりました。で、元の大学病院も一応検討したのですが、(1) 胸腔鏡・腹腔鏡に本当になれているのは教授先生だけで、他の先生たちは経験が浅いのではないか、(2) これまでの経緯から屈託なく任せる気にならない、という理由で、やはり転院しようと思いました。 その上で、がんセンターと一般病院どちらにしようかも1日考えました。がんセンターは週に3件程度、食道がんの手術やってますが、一般病院のほうは週に1件強です。また、胃温存回結腸間置は過去15年くらいの平均で月に1件程度です。これには悩みましたが、胃管再建の逆流・誤嚥のもとになるというのがやはり不安だったのと、病院の雰囲気が暗いのが少し嫌だったので、がんセンターはやめることにしました。また、セカンド・オピニオンのときに、腫瘍内科・放射線科とすでに連携済みだった一般病院のほうが、いざというときの血液内科との連携も安心だと思ったのと、さらに、ここの血液内科はものすごく有名だということがわかったので、こちらにお願いしようと思いました。 あとは、大学病院の先生になんというかを考えなくては行けませんでしたが、勤務先から近いという理由にしようと思いました。

セカンド・オピニオン外来その2

2020年1月16日(木) 移動中に携帯に電話。出てみると、がんセンターで、病理の結果が出たので23日(木)の2時からではどうかとのこと。その場で承諾。 2020年1月23日(木) 妻が人形町に用事があったので、水天宮前のソバ屋でかつ丼を食べてから築地に行くことに。 がんセンターに到着し、受付を済ませ、言われた部屋で待っていると、部屋が違うと言われて通常の診察室のところへ。20~30分ほど待ったところで呼ばれる。 部長先生、手術を済ませてきたところとかで、事前の準備ゼロ。病理診断についても「プレパラートが要るんですけど」と言い始める始末で、「いや、それもう終わってます」とこちらから言ったところ「あ、そうですね」と。 病理レポートでは、最深部700μmで、大学病院の1100μmよりも浅かったですが、ESD後のpSM2であることには変わりなし。脈管侵襲陰性とか断端陰性とか、ごくわずか(12標本のうち1つだけが深い)というのはともかく、最深部の深さが「独立した」危険因子だとのことで、手術推奨は変わらず。腺系分化は、特段の材料ではない感じでした。 この先生、手術には絶対の自信があるようすが明らかで、とても頼もしかったです。ダヴィンチを使うこと、頸の創は目立たなくできること、2週間で退院すること、腸瘻をしないことなど、どれも明快でした。また、逆流への心配については、同病院での標準術式である胸骨後経路であれば、胃管が屈曲するのでほとんど逆流はないと言い切ってました。いい意味で食道がん手術工場のような感じで、胃管再建を早く確実に受けるには、とても信頼できそうでした。 胃温存回結腸間置については、頼まれればやるけれど、メリットを感じないと明言してました。体重の減りは変わらないし、前述のとおり、胃管再建でも逆流はないと言い切ってますから、確かにそうなのかもしれません。

セカンド・オピニオン外来その1

2020年1月10日(金) 夕方、来客中に携帯に着信があったのですが、帰宅するまで気づきませんでした。帰宅すると、セカンド・オピニオンを頼んでいた一般病院からの連絡で、翌週水曜日(15日)の午前10時からでどうかとのことでした。 2020年1月11日(土) 大学病院だと土曜日も開いていることがあるので、一般病院のほうに電話をしてみたのですが、案の定お休み。3連休なので、今度連絡できるのは14日(火)ということになりました。 2020年1月14日(火) 8時半になるのを待って、電話。翌15日は午前中に客アポがあったのでずらしたかったのですが、15日の9時からか10時から以外だといつになるかわからないと言われ、15日の午前9時からセカンド・オピニオン外来を受けにいくことにしました。 2020年1月15日(水) 9時からのセカンド・オピニオン外来で、8時半ごろ到着。受付の人もあまり要領を得ませんでしたが、無事に別室に通され、先生が登場しました。 こちらの白血球の状況について、事前に、腫瘍内科、放射線科とお話をしてくださっていて、白血病化のリスクを考えると抗がん剤も放射線治療も怖いとのことで、やはり手術でしょうとのこと。もっと年齢をとっていれば経過観察(放置)も考えられが、この年齢ではそれも勧められないと。また、検査の頻度を上げても、検査で見つかったときには手遅れということがあるので、それも勧められないというお話でした。腺癌成分があることも、あまり臨床的には関係ないらしく、扁平上皮癌として、最深部1100μmのSM癌らしく、手術しましょうとのこと。胃温存回結腸間置については、この病院では実績があって自信もあると。大学病院の教授先生も「手術はうまいから、頼めばやってくれるんじゃないですか」ということでしたが、逆に「じゃ、転院してください、っていうでしょうね」とも。あとから分かったのですが、両先生は昔同僚で、さらに、大学病院の特任教授、別の教授とも、もともとはこの病院にいらしたとのこと。 1時間みっちり話を聞いてくれ、また、話をしてもらいまして、夫婦ともに好印象を持ちました。また、胃温存は非常に魅力的で、この病院の世話になろうという気持ちは強くなりました

セカンド・オピニオンの申し込み

2020年1月9日(木) セカンド・オピニオンは、一般病院1つ、がんセンター1つで、がんセンターは病理もあったのですが、がんセンターのほうは直接行く必要がある一方、一般病院のほうはまず電話をするということになってました。 そこで、一般病院のほうは、休み時間を使って自分で電話をし、資料を添えてレターパックで送りました。歩いて10分くらいのところなのにレターパックを使うのはなにかアホくさかったのですが、追跡できる郵便等で送るのがルールとのこと。こちらは、大学病院から部長先生宛のお手紙だったので、部長先生が直接出てくださるものと期待していました。 病理のほうは、この日、妻が言ってくれました。セカンド・オピニオンの医師は指摘できるのであれば部長先生を指定しておいてくれと依頼していたのですが、そのとおり指定できたということ。  どちらも、向こうから日付を指定して電話してくるということだったので、しばらく待ちのつもりでした。

大学病院3回目の外来

2020年1月8日(水) 食道・胃外科の教授先生3回目の外来。造影CTでは目に見える転移がなかったのことで、方針は術前化学療法なしの手術の方針が確定。セカンド・オピニオンを入手してから、最終決定しましょうとのこと。 紹介状をもらい、プレパラートを借りて、この日は終わり

帰省、弟に伝える/胃温存回結腸間置に出会う

2019年12月29日(日)~2020年1月2日(木) 子供の部活の関係で、帰省したのは12月29日(日)。翌日が日本は営業日、海外は翌々日の大晦日も営業日なので、一応、30日(月)は帰省先からの仕事体制としました。 帰省中のイベントとしては、治療がESDでは終了しなかったこと、手術の可能性が高いこと、場合によっては生死にかかわることを伝え、3月に予定されている父親の13回忌に僕が出られないかもしれないときのことを頼みました。これで、気分が随分楽になりました。 あと、家にいる間も食道がん関係の情報収集をずっとしていたのですが、ふとしたことで、胃管再建ではなく、胃温存回結腸間置なるものにぶちあたりました。胃管再建では、消化液の逆流がつらく、また、誤嚥性肺炎のリスクがあることが非常に怖かったのですが、胃温存回結腸間置ではそのリスクがかなり低くなるとのこと。で、さらによかったのは、これをやっている病院にセカンド・オピニオンを受けにいくことにしてあったんですね。 一応、このころから、頭を持ち上げて寝るにはどうするのか、旅行にいくときようの空気式の枕みたいなものはあるか、とか調べてはいたのですが、胃管再建以外でも行けるのかもしれないというのが、この頃の明るいニュースとなりました。  あと、帰省中は1日に2度のジョギングを再開しました。家にいてもやることがないのと、健康であることの親に対するアピールもあり、距離は短いときは1日で計10キロとかでしたが。父親の墓所が10キロくらいのところにあるので、走って往復するということも大晦日の日にはやりました。このあたりが、手術後の回復に効いたのではないかとも思っています。

造影CT

2019年12月27日(金) この日は朝から会社だったのですが、造影CTが午後2時とかに入っていて、それまで食事抜きでした。 お客さんとのアポがあり、それを終えて、徒歩で病院へ。CTの前に着替えるのですが、スリッパはこけるからというので、靴は自分の靴を履けと。検査着なのに、靴下と靴はビジネス風という間抜けな格好でCTを受けました。 造影CTは初の経験(PETはやったことがある)で、確かに、身体が熱くなる間隔は不思議でしたが、別にそれだけのこと。特段の感慨もなく、年内の患者生活は終了しました。    

大腸内視鏡当日

2019年12月26日(木) 近所のクリニックで大腸内視鏡。仕事は自宅からやることにしていましたが、英休日のため、なにかあったとしても対応できるわけではなく、非常に気楽でした。 朝6時から下剤を飲み始めるわけですが、スポーツドリンクタイプでなく、丸薬。10粒を15分おきに飲むというやつで、今だと、水をごくごく飲めないのでつらいかもしれませんが、当時は全然平気でした。 6時、6時15分と飲み、その後ジョギングに。ジョギングも家の周りを走ることで、15分おきに自宅に戻り、薬を飲みながら軽く5キロくらい走りました。10時ごろには完全に水状態になり準備完了。12時ごろにクリニックに向かいました。 クリニックそのものが混んでいて、少し待たされました。鎮静剤ですぐに眠ってしまいましたが、最後の数分ぐらいは目が覚めてました。休憩室でも眠る必要がなく、少し先生と話をして帰宅しました。1か所ポリープを採ったとのことで、大きさ的には昨年見逃した可能性が高いということでしたが、ま、そういうものなのでしょう。だから毎年やるんだというふうに思ってます。 このタイミングで大腸内視鏡やっていたことも、後日、効いてくるのですが、この段階ではまだわかってませんでした。

2度目の外来、セカンド・オピニオンを依頼

2019年12月25日(水) 食道・胃外科で、教授先生の2回目の外来。3時からの予約(3時~3時半の枠)で、3時半前に受付したところ、15分もしないで呼ばれる。さすがに妻も間に合う。今回からは、教授先生のほか、顔なじみの先生も横にいて、書記役をやってくださいました。 手術かケモラジかという点については、手術で行こうと思うことを伝えました。その上で、アスクドクターズの先生たちから指摘されたとおり、手術はどのようにするのかを聞きました。答は: - 腹部ではなく胸部下部なので、食道亜全摘・胃管再建・3領域郭清 - 胸腔鏡・腹腔鏡 でした。やはり、がん研有明で手術数をこなしてきた先生だけあって、赴任後、胸腔鏡・腹腔鏡を積極的に進めてらしたようです。 こちらからは、胃管再建後の逆流に対する不安、また、寝るときに頭を持ちあげて寝るのが一生続くのかに対する懸念を言ったのですが、「そういう人もいますね」「個人差がありますね」で片づけられました。 転移があったらどうするのかという質問には「うーん、白血球少ないからどうしますかねぇ」と、他人事みたいな回答。で、その時点でカルテを見て、ESD前に転移の有無の検査をしていないことに気付いたらしく、翌々日(27日・金)の造影CT検査を入れてもらいました。そもそも転移がない前提で医師は話をしていましたが、なんの根拠があるのだろうと思っていたところ、やはり根拠がなかったと。少し呆れましたが、大学病院というところはそういうところなのかもしれません。 で、セカンド・オピニオンの依頼をしたところ、 快諾してくださいましたが、資料をそろえるのに時間がかかるとのこと。特に、プレパラートはそうですよね。で、次回の外来のときに資料を下さるということで、先にセカンド・オピニオンの予約をとっておいたほうがいいですよと言われました。翌週が元旦のため、次回の外来は2020年1月8日(水)となりました。 翌日(26日)が大腸内視鏡なため、この日は、前日食。とは言え、下剤がよく効くことは自分でわかっていたので、大食いしない程度に適当にほかのものも食べました。

そう言えば、大腸内視鏡

ESD前に予約しておいた大腸内視鏡、12月26日(木)だったわけですが、そのころにはESD後でピンピンしているはずだったわけです。ところが、実際には手術が必要になる可能性高いということで、どうしようかと思い、21日(土)にクリニックに行きました。 結論としては、食道の手術と大腸内視鏡とはなんの関係もないということで、予定通り、26日に大腸内視鏡をやってもらうことにしました。 このころは割と自棄的になっていて、ジョギングもする気もせず、家でふさぎ込んでいることが多かったです。理論的には、自分でできることなんかなにもないというか、運動なんかしたほうがいいに決まっていることは分かるのですが、なにかポジティブなことをする気にならない日々が続いていました。

セカンド・オピニオンを受診する病院決める

セカンド・オピニオンですが、1つ目はすんなり決まりました。プレパラートを借りてくれば、 病理のセカンド・オピニオン を含めて診てくれるというので、国立がん研究センター中央病院にしました。本来、セカンド・オピニオンは転院を前提としないということは理解しているのですが、食道がんについて圧倒的な手術件数があるというのは、通常のセカンド・オピニオンの上でもプラスだと思いましたし、仮に転院することがあったとしても頼もしいと思いました。もちろん、白血病の実績が多いこともプラス材料でした。 もう一つは、結構悩みました。本来的なセカンド・オピニオンという意味では、がん研有明が有力候補なのですが、もともとかかっていた大学病院の教授先生が、がん研有明から移籍なさってきたということもあり、セカンド・オピニオンの意味というか、違うことを言わないのではないかと思いました。結局、後日転院することになる別の病院でセカンド・オピニオンを受診することにしたのです。 ただ、このころは、まだ、転院するかどうかは決めていたわけではありませんでした。以前からずっと診てもらっていたのと、教授先生や面倒くさがる医師はともかく、他に顔なじみの医師もなんにんもいらしたので、そのままお世話になってもいいかな、とは思っていたんですね。ただ、その大学病院は、胸腔鏡・腹腔鏡はやらないことをかつて標榜していて、ホームページ上でも鏡視下手術についてはほとんど宣伝していなかったので、創が大きいのはいやかなぁーとは思っていました。

どこでセカンド・オピニオンを受けるかを含め、情報収集

次回(12月25日)の外来までに、どこでセカンド・オピニオンを受けるかを決めようと思い、18日以降、懸命にリサーチをしました。 意外と手軽だったのが、アスクドクターズ( https://www.askdoctors.jp/ ) です。基本的には「それは誤診ですよ、手術なんか受けなくていいですよ」と言ってほしいわけですが、誰もそんなことは言ってくれませんでした。しかし、主治医になにを聞くべきかという点については非常に的確な回答をいくつも頂戴し、また、質問にも答えてくれるので、非常に参考になりました。 食道がんでは有名なブログ「 食道がんのブログ 」 の先生のところも当然、候補になったのですが、大学病院の縦割りには辟易としていたので、候補からは外しました。ただ、このブログは非常に参考になりますし、これからも見続けると思います。このブログを見ていると、ケモラジの選択肢は、どちらにしてもないなぁーと思い、白血球数と関係なく、手術は手術なんだろうという気持ちを固めるのに役立ちました。 心配だったのは、転移があったときに抗がん剤、あるいは、放射線治療が必要になりうるわけですが、その場合、白血球が少ないことがネックになります。なので、腫瘍内科がちゃんとしていること、また、血液内科の実績があるところというのも、大切な要素でした。ちなみに、もともと通っていた大学病院は、血液内科はそれなりにまともでしたが、腫瘍内科はできたばっかりで、食道がんでの実績はほとんどない(食道・胃外科がやるから)という不安材料もありました。 さらに、12切片のうち1切片だけ深く浸潤していたとか、腺癌成分があったとか、すっごく珍しい話だということがアスクドクターズで分かったし、やはり、半年ごとに精密検査していたのにそんな浸潤があったということ自体が信じられなかったので、病理検査のセカンド・オピニオンも欲しいと思いました。  情報収集という意味では、YouTubeで キャンサーチャンネル を見つけ、 そこから、 がん治療の虚実 という腫瘍内科の先生の動画集も見つけました。結局は手術でしょというのが前者ですが、転移していたときのための抗がん剤の話については後者がとても参考になります。 このころの心理は、というか今でもそうなのですが、本当は手術しなくてもいいのではないか、放っておいても大丈夫な

食道・胃外科に差し戻し

2019年12月18日(水) 予約が取れないと言われたので、取りあえず朝イチで病院に。教授先生は水曜日の午後しか診察しないことは病院ホームページで確認していたので: - 朝イチでも午後の受付ができれば、午後の受付をした上で会社にいく - 午後の受付ができなければ、教授先生でなくてもいいから、とりあえず受付する というつもりで行きました。自動受付機で、すんなり午後の受付ができたので、いったん会社に。 で、午後の診察は午後1時からだったのですが、予約してないし、どうせ3時か4時だと思っていました。また、妻はいずれにしても2時過ぎにしかこられないと言っていて、ちょうどよいかとも思っていたのです。ところが、1時半ごろ呼ばれてしまい、妻がいないところで一人で話を聴くことになりました。 初めてお目にかかった教授先生、このときはおひとりでした。説明はシンプルで、追加治療がおすすめで、手術とケモラジ、ほぼ同等の効果が期待できるとのことでした。その上で既往症について尋ねられたので、白血球数が少ないことを伝えると、ケモラジはやめたほうがよいとのことでした。その上で「いますぐには決められないでしょうから、1週間後の予約を」ということになりました。 そのとき、先方のミスで、消化器内科から食道・胃外科への紹介状が会計ファイルに入っていて、そのまま帰宅してしまえばそれを入手できたのですが、妻が病院に向かっているのでそのまま待合で待ってたんですね。そしたら看護師さんに呼ばれ、手違いでしたと紹介状を回収されてしまいました。写メを撮っておけばよかったのですが…。ただ: - ESD標本12分割のうち、6番というところだけ1100μm浸潤していた - 深いところには腺癌の成分があった - あとはEP/LPMに収まっていた - 断端陰性(=取り残しはなし) - 脈管侵襲陰性(=リンパ腺や血管には行っていない) というあたりは分かりました。 それにしても、という話なのですが、もともと食道・胃外科でESDしてもらって、その後のフォローしてもらっていたわけですよ。6か月ごとの精密検査ですよ。で、そのフォローでEP/LPMって言われて、(面倒だからというわけではないのでしょうけれど)消化器内科に回されたところ、そこでのESDで浅読みだったことが分かったんですよね。それ

ESD病理でSM2発覚

2019年12月16日(月) ESD後ほぼ3週間、退院後2週間で、消化器内科の外来でした。土日とジョギングしていたので、この日から朝のジョギングも再開する予定で、5時15分に起きて、5.6キロ走り、朝食食べてから病院にいって午後分の受付を済ませました。午後3時かなにかの予約で、待たされましたが、ESDが無事に終わったこと、潰瘍の薬をあと1か月分くらい出すことを言われ、終わりかけたときに、医師が思い出したように「あ、そう言えば」と病理レポートを見ました。 「なんだこれは!」と、押し殺した叫び声のような第一声。脈管を伝って食道がんが浸潤していて、最深部が1100μm(1.1ミリ)まで達しているというのが病理レポートで、医師は「こんなの初めて見た」と言い始める始末。調べてみるからといったん診察室から出され、外で待っていると、医師がいろいろなところに電話をかけている様子が聞こえました。 再度呼ばれて説明を受けたところ(あとから分かったことも含めて書いてます): - 基本的にはEP・LPMにとどまっている - 取るべき癌は取り切れている - 一番深いところは腺癌の成分を持っている - 病理の教授にきいたところ、珍しい症例でよく覚えているとのこと - 食道・胃外科にきいたところ、ガイドラインはない - 消化器内科の範疇を超えた ということで、食道・胃外科の教授宛の院内紹介状をもらいました。教授診は水曜日で、消化器内科からは食道・胃外科の予約を入れられないので、水曜日に予約なしで行くように言われました。 可能性がゼロではないことはわかっていたものの、追加治療とは手術かケモラジだというくらいの予備知識はあったので、ものすごいショックでした。 だって、半年ごとに、1回30分の内視鏡検査やってて、かつ、食道ESD後のフォローアップですから食道がん高リスクだってわかってたわけですよ。それで、前年12月の検査ではなにもなかったのに、6月の検査で怪しげなものが見つかり、取ってみたら手術が必要って、話が違うっていう感じですよね。しかも、前年12月の段階で医師の面倒くさそうさに負けていたら、この年の12月まで内視鏡受けてなかったわけじゃないですか。 なのに、11月末のESDで追加治療が必要って、現実とは思えませんでした。 その日の夕方は外部の会合があった

2度目のESD後の社会復帰

2度目のESD後、退院は12月2日(月)でした。会計を済ませ、妻といったん帰宅。昼食をとったあと、さっそく、仕事がらみのコンファレンスに出かけ、社会復帰をしました。アルコール飲まなければ生活にはなんの支障もなく、ケータリングで出てた飯も結構食べました。以降、その週は、ほぼ毎日のように夜の予定が入ってました。 2019年12月7日(土)、小雨の中、ちょっと運動しようと自転車で1時間くらい外に出ました。ものすごく寒かったためでしょうか、風邪を引いて翌日1日寝込んだのは間抜けでした。 12月9日(月)~12月13日(金)は完全に通常運転でしたが、風邪の病み上がりということもあり運動は控えました。ただ、12月14日(土)にはジョギングを再開。土曜も日曜も20キロくらい走りました。 ESDで治療が完了していれば、ハッピーエンディングそのままだったわけです。で、そうなるものだと思い込んでました、このときは。

2度目のESD後、退院まで

ESD後1日目(11月27日水曜日)は、食事はなかったのですが、水は飲んでよかったのかな。変なストッキングも、歩いているということですぐに脱がせてもらい、短パンとTシャツで過ごしていたように記憶してます。仕事のほうは、電話もメールも普段と同じように来ますから、淡々とこなしていた感じですが、長期プロジェクトに手を付ける感じはあまりなく、時間があれば動画を見ていました。そういえば、この日は熱が38度近くまで上がりました。 ESD後2日目(11月28日木曜日)から食事がスタートで、なにがびっくりしたかというと、ご飯は五分粥、で、おかずに魚が出てきたんですね。点滴が取れたのも、この日の朝だったんでしょう。ご飯を見て、「あ、もう何食べてもいいんだ」と思いました。たまたまこの日は血液内科の外来の予約があったので、ジーパンに着替えまして、この日以降は完全に普段着状態となりました。体温も37度程度まで下がってましたかね。朝、血液内科のための採血もあったのですが、血液内科では、白血球数が4000台まで上昇していて、また、CRPも上がってました。ESDを炎症と認識したんですね、身体が。これで無罪放免とはいかず、また2か月後の1月末に血液内科の予約が入りました。母親に電話して、入院していること、治療が終わったこと、心配しなくていいことを伝えたのも、この日だったでしょうか。ちょうど、年末の新幹線の切符も取らなくてはいけなかったですし。2度目のESDで、1度目と同じよと言ったので、安心してたのではないでしょうか。 ESD後3日目(11月29日金曜日)以降は、毎日の体温計測、2日に1回くらいの採血、以外は時間つぶしで、このころは、病院内にあるスターバックスに行くわ、ナチュラル・ローソンに行くわで、もう食い物もほぼ好き勝手になってました。肉が食いたいとかいうのはあまりなくて、甘いものがいいんですね。ESD後はコーヒーは控えるかやめるように言われるのですが、本当に悪いのはカフェインなので、デカフェのコーヒーやラテは飲みまくってました。お医者さんには早く退院させてくれといったのですが、クリニカル・パスに則る必要があるらしく、金曜日の段階で、退院は月曜日だと言われました。 12月2日月曜日は教授回診の日でもあり、初めて教授先生の顔も拝見しましたが、もう退院するし、あまり興味もありませんでし

2回目のESD当日

2019年11月26日(火)、ESD当日。 午後1時頃からESDという話で、午前中はその準備。面白いのは、点滴の針を刺す場所が、同じ大学病院なのに食道・胃外科と、消化器内科とで違うこと。食道・胃外科では、手の甲側の手首のあたりの静脈なのですが、消化器内科では肘の内側。また、食道・胃外科では医師が挿しますが、消化器内科では看護師でした。もっとも、若い看護師さんが2度くらい失敗、ベテランさんらしき人も失敗して、結局、医師が来てやってくれました。左側を下に横向きに寝るので、右手だというのが共通なくらいでしょうか。 あと、エコノミー・クラス症候群予防のための、へんなストッキング履きましたね。妻しか見てないとは言え、恥ずかしかったです。 昼前には妻が病院に来て待っていましたが、結局呼ばれたのは2時頃。手術室ではなくて内視鏡室で、部屋の前まで妻が一緒に来てくれました。 前回のこともあり1時間くらいで済むのかと思っていたのですが、マーキングで1時間くらいかかったらしく、妻によると、マーキングが終わった段階で「ここから1時間くらいかかる」と言われ、病室で待っていたようです。 本人は、鎮静剤ですぐ眠ってしまいますから、終わるまで気付きませんでした。終わってからは、ストレッチャーではなく車いすで病室に戻ったような記憶があります。しょせんESDですから、鎮静剤は残っているものの意識ははっきりしていて、1回目のときと違ってぐったりということもなく、妻と普通に会話をして、妻は帰宅したはずです。 自分自身は、鎮静剤がきれればもうピンピンしていて、トイレもいくし、水も取りに行くしと、思ったよりも楽でした。もちろん、ESDやった場所は少し痛いんですが、鈍痛で、「痛たたた」というのではなくて「あ、ここにESDしたのね、ふむふむ」と意識させられる程度だったでしょうか。 そういえば、入院中に何度か血液検査をするのですが、ESD前の血液検査では白血球数が2000台前半に戻っていたはずで、食生活改善(禁酒)が奏功したのかしらと思っていました。

2度目のESDのため入院

2019年11月26日(火)がESDで、入院は25日(月)と言われました。22日(金)に電話がかかってきて、普通の個室はあいていなくて、特別個室だと。 あ、仕事なんですが、仕事の内容があまりにも特殊で社内で僕にしかできなくって、かつ、既存のお客さん放っておくというのも到底できず、仕事は持っていくしかないと。ESD2回目で、ESD後も食事以外は普段とほぼ変わらないことはわかっていたので、同僚には、「家族が入院する」(嘘ではない)といって、1週間くらいは会社に行かないことだけは伝えました。電話は、会社の電話が3回ぐらいなれば携帯に転送されることになっていますし、メールはどこからでも見られると。で、会社のPCに入っている重要な情報はメモリー・スティックに入れて持ち出してしまえば支障はないわけです。  病室で仕事をしなくてはならないので、個室は必須だったのですが、個室と特別個室でもそれなりに金額の差があるので、少しへこみました。 25日は10時半ごろまでに入院受付に来いと言われていたので、9時ごろ妻と家を出ました。入院に際しては: - パジャマ - かかとのある室内履き - ボディ・ソープ - シャンプー - タオル - 歯磨きセット が必要とあったのですが、パジャマは普段使わないので買おうかどうか考えたのですが、前回も短パンTシャツでよかったので、今回も妻にきいてもらい、やはり短パンTシャツでオッケーとのこと。室内履きは、ジム用として買ってあるジョギングシューズ(今まで東京体育館で1回しか使っていない)、あとは適当に準備してもらいました。ところが、個室にはアメニティセットがあって、パジャマ以外は全部準備してあったというオチ付きでした。また、室内履きも、入院のときにスニーカー入っていったのですが、それで十分でした。 手術の前日に入院したのですが、前日は特になにかするわけではなく、消化器内科の若手の先生(とは言え、外来も持っていることがあとで判明、って消化器内科って先生の数はやたら多いんですよね)がご挨拶にお見えになり、あとはぼーっとしているだけ、病院の昼食は残して、妻が買ってきてくれたスタバのドーナツを食いました。夜は、さすがに翌日がESDなので、病院の飯だけにしておきました。  そうそう、そう言えば、転倒リスクのアセスメントがあり、過

大腸内視鏡

ものすごく心配しているわけではないものの、食道と胃については半年ごとに内視鏡で診てもらっている一方、大腸はどうなのかというのは、気にはなっていたんですね。たまに出血もあったので。たまたま人間ドックでひっかかるタイミングの出血はなかったのですが、気にはなっていたのと、2014年9月以来大腸内視鏡検査をしていなかったので、妻が人間ドックで引っかかって、その系列病院での大腸内視鏡を予約したのですがそれが随分先だったので、近所で探したクリニックがあり、そこに行ってみることにしました。2017年の夏のことです。 まだ開業して間もなかったみたいで、今だと結構混んでいるのですが、そのときはすぐに予約をしてもらえました。前日に食べる消化のいい食事セットには閉口でしたが、2012年の注腸検査のときに経験があったので、ま、耐えるのに苦労はなかったという感じでしょうか。下剤は、水に溶かすやつではなく錠剤で、15分毎に飲み続けるというやつです。 1回目は2017年夏、2回目は2018年の夏だったのですが、2回ともポリープを採ってもらい、腺腫(放っておくと癌になるかもしれない)というやつでした。ここ、鎮静剤を使うのですが、僕は体質的に寝ちゃうんですね。人によっては眠らない人もいるようなのですが、僕は起きていられたことがありません。 2019年6月に食道・胃の内視鏡で癌の疑いが指摘されていたので、実際にESDをやるとするとそのときに大腸検査があると思い、2019年夏分については近所のクリニックでの大腸内視鏡の検査は入れませんでした。ところが、大学病院の消化器内科ではESD前に大腸の検査はしないということで、大腸内視鏡は近所のクリニックで受けていいと言われました。そこで、消化器内科の外来が終わり、帰宅、その後、深大寺まで走って戻ってきたあとで、近所のクリニックに向かいました。 すぐに予約が入ると思ったのですが、なんと、2か月先でないと大腸内視鏡の予約が入らないと。英系の会社なので、現地は12月の25日と26日が休日となり、仕事が開店休業状態になるので、12月26日に予約を入れました。 結果として、このタイミングも絶妙だったわけですが、それはまた後日。

食道・胃外科から消化器内科へ

6月末に「癌の疑い」ということで、9月に再度、内視鏡で精密検査がありました。たまたまなのか、実は責任感が強いのかわかりませんが、過去2回連続で外来で診てくれた先生が内視鏡をやってくれました。他の病院のことは知りませんが、この大学病院では、食道・胃外科にかかると、内視鏡の検査も同科の医師がやってくれるんですね。 で、10月の頭の午後に外来で、この先生に診てもらうことになりました。本来は外来がない先生なのですが、予約の形で入れてもらい、行ってすぐに診てもらいました。ものすごく久しぶりに妻にも来てもらいました。 結論は単純で: - ESDでとれる癌だからESDやりましょう - ESDでとれるから心配しなくていいですよ - 食道・胃外科は新しい教授の方針でESDはやりません - 消化器内科を紹介します  というものでした。その場で、消化器内科の先生に電話をしてもらい、10日ぐらいあとの外来を予約しました。土曜と月曜がその先生の外来なのですが、直近の土曜日が第二土曜日で病院が休み、次の月曜日が体育の日だったので、間が空いたんですね。で、その日は、肺のレントゲンと肺活量の検査をし(血液検査もしたかも) 、会社に戻りました。 で、消化器内科を受診したわけですが、消化器内科としての検査とかは全然なかったんですね。前回のことがあったので、「他の検査はないんですか」と聞いたのですが、レントゲン以外は必要ないと。転移の有無についても、どうせ検査しても見つからないから、ESD標本採ってみればそれでいいと。前回のESDでヨード使っているので1か月以上間をあけようと言われたので、スケジュールを見て、11月26日ESDということで決めました。 外来で初めて診てもらった先生と、話だけして、あとはESDのときまで放置されるって不思議な感じでしたが、しょせんESDだしと思ったのも事実ですね。ただ、食道・胃外科と消化器内科が完全に分断されているというか、お互いに遠慮しあっているというか、他の部門の言うことは字面どおりうけとらなきゃいけないんだみたいな変な意味での縄張り的違和感は強烈に感じたものでした。 土曜日でしたが、その後入院の手続きをし、終わったのが午後2時近くだったので、病院の近くのすた丼屋にいって半生姜丼と餃子で昼飯にして、帰宅しました。

食生活の改善と運動

運動は、もともと2010年の頭から、基本、毎日5.6キロを走るようにしていました。 2016年の夏でしょうか、以前の取引先だった人たちが複数、別の会社に転職してらして、フェースブックで連絡をとって麻布十番で飲み会をしました。そのとき、なんとなく運動の話になったんですね。それでふと、「そうだ、水泳再開しよう」と思い立ちました。 7月から9月にかけては、近所の市民プールで屋外プールの開放があり、それに出かけることにしました。 最初のうちは土日のうちどちらかで、かつ、自転車で行っていたのですが、そのうち、土日の両方になり、プールに行ってから走るようになり、10月か11月くらいには、プールまで走っていき(片道約2.9キロ)、2.1キロ泳いで、走って戻ってくるようになりました。 さらに、2019年6月以降、酒も飲むし晩飯も食うという生活になってからは、土日は、走ってプール→スイミング→走って帰宅、を午前中にやり、夕方さらに走るということをやり始めました。結果として、これが手術後の回復が早かったことに貢献したのだと思います。 2019年9月末、血液内科で赤血球も少ないと言われたこともあり、酒をやめ、飯をちゃんと食うことにし、一方で太らないために運動量を増やすことにしました。具体的には走る距離を増やしたんですね。もともと、走るのはあまり好きではなく、5.6キロ以上走ることはなかったのですが、これを増やすことにしたんです。 9月の内視鏡検査で食道がんが確定し、11月にESDやることが決まってからは、むしろ意地になったというか、自分が健康であることを確認するためにも距離を増やしました。うちから新宿、渋谷、高田馬場、愚息1号の通っている板橋区の中学、多摩地区の旧母校など、行って帰ってくると20~24キロ程度のところを午前中走り、午後は近所を5キロから10キロくらい走るというパターンがこうやって生まれます。別の多摩地区にある母校まで走ると30キロとかになるのですが、それは、ESD前には2度ほどしか試せませんでした。 ちなみに、ペースとしてはキロ6分では走れず、少し調子がよくてキロ6分半、少し調子が悪いとキロ7分近くかかるという、ノロノロです。

実は血液検査もヤバく

病理で食道が怪しいというのが出てきたのは2019年6月だったのですが、実は、その年初から少し生活に変化がありました。 前年の年末、着替えていたら、愚息1号に「パパ、腹が出てる」と言われたんですね。そこで、久しぶりに一念発起して、痩せようかと思ったわけです。僕、痩せるの簡単で、飯食わないでアルコールに変えちゃえばいいんですよね。 実は、前回のESD(2012年6月)後は、毎日飲むのはやめたんですが、そうはいっても週末とか、飲みに行ったりとかのときは、アルコール飲んでたんです。ところが、2013年に入って、当時の職場が耐えられなくなってなにかいい仕事がないかと思い始めていて、そのためにはなにかを断とうと思ったわけです。また、大学病院の特任教授の先生が、どこかの週刊誌で「結婚式の乾杯のときに口を付けるだけ以外、食道がんを避けるためにはアルコールは避けるべし」と話してらっしゃるようなのを見て、それもそうだなぁーと思ったこともあります。酒をやめるのは意外と簡単で、2018年の年末まではほとんど飲みませんでした。 ところが、毎回の内視鏡検査でなにも出ないし、痩せたいしというので、2019年に入って酒を飲み始めました。しかも、その飲み方は、「夜、会合にいく → 酒を飲むが食事は食べない → 帰宅して寝る」という感じだったんですね。会合というのは、スタートアップの人とか、VCの人とかが登場するのを探すと、実はほぼ毎晩あるわけです。なので、本当の仕事が忙しくてオフィスに7時とか8時とかまでいなくてはいけないときを除くと、毎晩、外で飲んで帰るという生活になりました。 さらに、ゴールデン・ウィーク前からは、一人のみを覚えたんですね。最寄り駅が2つあるのですが、どちらにも行きつけのパブ(英国風居酒屋)を見つけてしまい、また、HUBっていうチェーンのパブも近くにあるので、そちらに行くようにもなりました。 4月末の人間ドックで、それまで少なかった白血球だけではなく、赤血球数も減っていることが指摘されました。5月に血液内科の外来があったのですが、そこでは、白血球数が前と同じ程度にしか少なくない(さらに減っているわけではない)こと、また、赤血球が大きくなる貧血ということで、栄養失調(酒の飲みすぎ)という見立てでした。なるほど、と妙に納得し、その後は、飲みにいっても少し食べるよう

再度、食道がんの疑い

2019年6月の半ばに、鎮静剤で眠っている間の内視鏡を受けました。このとき組織を採ったのですが、「大丈夫だと思うけれど、念のため」と言われていて、実はほとんど気にしてなかったのです。 このときから、内視鏡と外来は別の日になっていたので、1週間ちょっと経って外来に出かけていきました。代診は変わらずで、顔なじみの先生を期待したのですが、やはり呼ばれたのは別室で、先生も、前回「もう来てほしくない」とおっしゃった先生。 これが、開口一番「いやぁー、今回で卒業だと思ったんですけど、癌見つかりましたねぇー」とカジュアルなお言葉。こちらは「えぇー」って叫びました。 ところが、その後「いや、待てよ。あ、これは確定じゃないなぁー。うーん」と言い始めるじゃないですか。要するに、患者を呼ぶ前に、ちゃんと病理の結果見ておらず、患者が目の前に来てから、コンピュータの画面を見始めているわけです。 その後の説明は: - 病理では「癌の疑い」といっているだけで「癌だ」とは断定していない - したがって、再検査をしたほうがよい - ヨード染色をしているから3か月後にしたい - 仮に癌だとしても浅いから手術ではない(=ESDになる) - 新しい教授が4月から来て、食道・胃外科は手術を手掛ける方向になった - 再検査によって癌だとしたら、食道・胃外科はその先は診ない ということを言われました。その後、仕事でコンファレンスがあり、コンファレンスは顔見知りの人との顔つなぎや、それまであったことのない人との名刺交換の大事な機会なのですが、最初の数時間はショックであまり頭が働きませんでした。 今から考えると、このときに、(1) 癌の疑いがあるんだったらさっさとESDしてください、(2) 癌の疑いがどのくらいの疑いだかわからないのでセカンド・オピニオンを聞きにいきたい、と言えばよかったんです。 ところが、このときは: - 前回のESDの前の検査が結構大変だったので、ESDも避けられるのであれば避けたかった - 癌だとは信じたくなかったから、疑いなら癌ではない可能性があると思いたかった - 医師が明らかに面倒くさそうだった というのがあったんですね。もしかすると、このときにすぐにESDをやっていればというのがものすごい後悔になるわけです。所詮ESDなんだから、再

経過観察のあつかいが邪険に…

2012年6月にESDをやり、6か月ごとに経過観察をしていたのですが、5年経過した頃から「もう、いいんじゃないの」という話が出ていたのは確かなんです、教授先生から。ただ、そのときは「ご迷惑でなければ、6か月ごとに診てほしい」と言い、継続してもらっていました。 ところが、あるときから教授のときは常に代診になり、なにか大変なんだろうな、とは思ってました。 2018年12月の内視鏡検査の後の外来で、いつもどおりの顔見知りの先生の代診だと思って待っていたら、呼ばれたのは別の部屋。食道・胃外科はメインの部屋のほかに、横の別室も使うことがあるのは、2012年5月1日の准教授診察後の説明、また、同5月末の教授診察後のESD説明で知ってはいたのですが、それはともかく、診察してくれたのはさらに別の先生でした。このときは組織も取らなかったのですが、「〇×教授が倒れてしばらくたち、回復のめども立っていないので、患者は減らしたい。経過観察も5年を過ぎて、いつもなにも出ないんだから、もう来ないでほしい」ということを言われました。もちろん、本当にダメならしょうがないとは思ったのですが、このときも「こちらで診てもらえるなら、引き続きお願いしたい」といったところ、とりあえず次回、6か月後の内視鏡は入れてくれました。 このときは知る由もなかったのですが、翌2019年4月には、元の主治医教授の籍は残ったまま、新しく教授を迎え入れたんですね、この大学病院。このあたりから、2回目のESD、そして手術に至る伏線になっていったように思います。

初回ESDと保険

ESD治療とは言え、悪性新生物であったことには変わりないわけで、疾病保険の申請をすることになりました。 もともと入っていた生命保険は、当時、外国債券のセールスマンをしていた関係で、一番のお客さんだった中目黒の生保でした。その後、その保険会社が破綻して外資系になっても放っておいたのですが、子供が生まれて、引っ越したときを機に夫婦で保険を見直しました。すでに血液内科にかかっていたので、 きちんと告知をしたところ、生命保険にはもう入れないと言われ、その変わり、死亡保険金がほとんどない疾病保険に入っていたのです。 ESD後に保険金を申請したときに気付いたのですが、悪性新生物と診断されると、それ以降、保障は継続するのに保険料を支払わなくてもよくなるという特約がついてました。それもあって、保険調査は結構念入りでした。 まず、調査員が自宅に来て、聞き取りがありました。その時、告知済みでもありましたらから白血球が少ないこと、血液内科にかかっていること、などお話をし、必要であれば血液内科の先生にあたってくれと言ったんですね。そしたら、電話や訪問でものすごい時間をかけたらしく、予約の変更のために先生から自宅に電話があったとき「長年医者をやっているけれど、あんなしつこいのは初めてだった」と妻に愚痴をこぼされるほどすごかったようです。要するに、既往症(白血球が少ない)が、食道がんと因果関係があると言わせたかったようなのですが、先生はまったく関係ないと言い切って下さり、結果、保険金はきちんとおりました。 当時、高額療養費の限度額はいまよりも随分低く、また、個室ではなくて二人部屋だったので、結果として、入院だけを見ると保険でプラスになりました。もっとも、他の分や家族の分がありましたから、確定申告で少し戻ってくるくらいにはなりましたが。 この、がんと一度診断されると保険料なし、保障継続という特約が、2回目のESDにも効いてくるわけです 

ESD後の血液内科

もともと、その大学病院には血液内科で通っていたわけです。通い始めたときは准教授だった先生がずっと診てくださっていて、食道ESDに際しても、食道・胃外科の教授によろしくと言っておいてくださったらしく、食道・胃外科でもやたら「血液内科のH先生の患者さんで…」と、扱ってもらいました。 その後、その先生が定年になられて、本院では外来を持たなくなり、23区内とは言え郊外(環八沿い)がメインになられる際、若手の先生に変わりました。いまでも、血液内科はそちらにかかっていて、同じ先生に診てもらってます。元の主治医の先生はまだ現役で、系列病院の副院長をしてらっしゃるようです。

ESD後の経過観察

初回のESD後は、原則として、6か月に1回の内視鏡検査でした。内視鏡検査といっても、適当に胃カメラ飲んでというやつではなく、いわゆる精密検査で、鎮静剤で完全に意識を失ってから30分かけて見るやつです。 最初のうちは、内視鏡やって、1時間休憩して、それで解放されまして、翌週とか翌々週の教授外来で結果を聞いてました。2回に1回(1年に1回)くらい組織を取るのですが、いつも炎症でした。そのうち、どうせなにもなさそうだからというので、内視鏡と同日に外来が入るようになりました。それでも、2回に1回は組織を取るのですが、そのときは電話で教授が「異常なかったですよ」と教えてくれるのが常になってました。 2014年の6月の内視鏡のとき、たまに排便時に出血があることを訴えたところ、9月に大腸内視鏡も予約してくれました。意識がある鎮静剤というのは初めてだったのですが、少し痔があるだけで腸はきれいだと内視鏡の先生に言われ、そのあとの外来でも(当然ですが)同じことを言われたものでした。そのときの下剤は、みながポカリスエットみたいなやつというあれで、生まれて初めての下剤でしたが、いやでもなんでもなく、こりゃ楽だわいと思った記憶があります。前日の食事制限もなかったし、あれは楽だったですね。 様子が変わったのは2015年か2016年だったでしょうか。いつものように外来にいくと、教授がお休みとのこと。ただ、代診は初回のESDのときからの顔見知りの先生だったし、なんの心配もありませんでした。 それ以降、教授が現れることはなくなりましたが、代診の先生はいつも同じ顔なじみの先生でしたし、どうせ異常ないしと思って、あまり気に留めてもいなかったのです。2019年6月の内視鏡検査までは…。

ESD後の社会復帰

2012年6月の食道ESD後、しばらくは出張とか立ち仕事はやめておけと言われるわけですが、人使いの荒い会社だったので、金曜日に退院した翌週、いきなり出張がありました。浜松か静岡かに日帰りだったんですね。さほど大変ではありませんでしたが。 確かに、ESDって人工的な潰瘍みたいなものなので、気を付けるべきは気を付けるんでしょうけれど、実際には個人差が大きく、お医者さんは最大公約数のことしかおっしゃらないということなのだと思っています。実際、2回目のESDのときは、この1回目のときのことがあったので、そのあたりはほとんど無視してました。 飲酒しちゃいけない、あまり刺激的なものを食べてはいけない、運動してはいけない…というのが内視鏡後の外来までありましたけど、あとは退院後すぐに社会復帰でしたね。だから、ESDで治るところで見つけなきゃいけないんですよね。 同じ年の10月の3連休には、母親(名古屋)、弟の一家(弟、義妹、姪×2)と総勢9人が泊まりに来て、うちで1泊したあと、TDL→TDSに行きました。愚息2号の姿が見えなくなったのですが、僕が大声で呼んだら、聞こえたらしくすぐに見つかったのはいい思い出です。また、お土産屋に寄っていたら、帰りの新幹線の時間が近づき、超安い切符で、逃すと自由席への振り替えもできないという切符だったので、京葉線東京駅から東海道新幹線東京駅まで、9人でダッシュ、無事に母親と弟一家を見送ったのも、今となってはいい思い出ですね。

ESD後の運動(2012年版)

もともと太りやすい体質なのですが、2009年の年末に向けて太り、ジーパンがきつくなっていきました。2009年12月に休暇をとって家族でグアムに行ったのですが、そのときに自分のお腹があまりにもだらしなくなって、ダイエットを決意しました。 基本的には、過去の経験から晩飯を抜けば痩せることはわかっていたのですが、仕事が忙しくないのに晩飯を抜くというのはなかなか難しい。そこで、運動をすることにしたのです。やったのは、水泳、自転車、ジョギングで、水泳は仕事帰りに東京体育館、自転車とジョギングは仕事のあとに家でやることにしました。 2010年4月末で人減らしのために会社をやめ、半年間は原稿書きなどのバイトで食いつないでいたのですが、その頃は自転車や水泳はしなくなっていて、もっぱらジョギングでした。コースは毎日同じで、近所をぐるっとまわって3.5マイル(5.6キロ)。これが、その後も標準の距離になりました。 2010年11月から別の会社に勤めることになったのですが、最初の4か月は鬼部長の下で、午後8時前に帰れることはまずありませんでした。というか、やることがあってもなくても、部長よりも先に帰るという選択肢はなかったんですね。初めてのピュアな日本の会社で、それで学んだことも多かったのですが、その話はまた後日。 で、あまりに遅いときは走りませんでしたが、それ以外のときは、最初のうちは、帰宅→夕食→ジョギング、だったのですが、その後、鬼部長が退職し、また、部署も少し変わったので、6時過ぎに退社、7時過ぎに帰宅できるようになった関係で、帰宅→ジョギング→夕食と変わりました。 1回目のESDのときも、前日(木曜日)まではいつもどおり走り、金曜日に備えたものでした。 ESG後は、初回の外来ではなく、そのあとの内視鏡検査までは飲酒・運動禁止と言われていて、退院後1か月くらいは運動できなかったように覚えてます。運動してよくなったその日の夜に走りに行きましたが、最初の1週間くらいは距離は少し短くしました。暑くなってもいたんですよね。

初めての入院について

基本的には頑丈な人間で、それまで入院したことはなかったので、1回目のESDが初めての入院でした。入院に際しては、パジャマとスリッパ、ボディソープとシャンプーを用意しろというのがあったのですが、今はスリップは禁止のところが多いみたいですね。ボディソープとシャンプーについては、東京体育館のプールに通っていたときにつかっていた、ボディショップの頭も洗えるボディシャンプーがメンズであったのが余っていたので、それを持っていきました。また、普段パジャマ着ないのですが、ESDは身体の表面を切らないので前開きのものを着る必要がなく、Tシャツと短パンで過ごしました。 当時の職場は、リモートで働くのは不可能でしたし、同僚もたくさんいましたので、入院中は完全に休暇で、仕事のことは完全に忘れて過ごしました。本も何冊か持ち込んだのですが、モバイル・ルータとiPod Touchで、ドクター・ハウスをずーっと視ていたらあっという間の8日間でした。 食事は、ESD当日はなし。翌日もなし。翌々日もなかったように記憶しています。その後、おかゆのグレードが上がっていき、普通のご飯になったら退院という感じだったでしょうか。 トイレにいく度に、トイレにある機械に尿をいれる という儀式があり、あれがなんのためだったのか、不思議です。点滴をしているので、シャワーを浴びるときに点滴を外してもらわなくてはならず、看護師さんにお願いしなきゃいけないのと、シャワーが共用なので予約しなきゃいけないのが、面倒といえば面倒でした。点滴が取れたのはいつだったか、ちゃんと記憶してません。 基本的には、入院している理由は、ご飯が普通のご飯じゃないからという以外になく、もちろん実際には、熱が急に出たらとか、下血したらとか、いろいろとあるのでしょうけれど、経過が順調だと退屈に尽きるという感じでしたね。  退院は入院日・ESD日の7日後の金曜日でした。あのときはまじめで、病院で出るものしか食べていなかったので、まず菓子パンを買って自宅で食べました。

1回目のESD

親にどう伝えるのか、これはみなさん悩むところだと思います。僕の場合、治療・入院の日程・内容が確定するまでは、心配させるだけだから言わないことにしていました。 で、6月の下旬、金曜日に入院・ESDと決まり、所要で名古屋に行くことがあったときに親元で泊まることにし、そのときに最寄り駅から車で家に向かうときに軽く言いました。ESDなのでとれば治ると信じてましたし、また、金曜日にやるということはほぼルーチンであるわけで、軽く、さらっと話しました。また、経験者はご存じでしょうけれど、ESDの段階の食道がんって、自覚症状もなにもないので、元気そのものなんですよね。なので、心配もとくにかけなかったのだと思います。 入院はESDの当日だったのですが、前日に病院から連絡があり、希望していた個室はなく、2人部屋とのことでした。 当日は妻と2人で9時ごろ病院に行き、2人部屋の通路側となりました。当時は建て替え前で結構古い病棟でした。主治医として知らない先生の名前がたくさん書いてありました。看護師との面談があったり、体重を測ったりし、午後2時とか3時とかに呼ばれて内視鏡室まで降りていきました。そこでは、Y先生もいて 心強かったのも覚えています。 ESD後はストレッチャーで部屋に運ばれ、妻と話をする気力もほとんどなく、そのまま寝てしまいました。 確か翌日、内視鏡があり、鎮静剤をやってくれるかと思っていたのですが、「すぐ終わるから」と鎮静剤なしでした。 入院中に病理の結果も出て、完全に取り切れている(追加治療の必要はない)と言われたのも嬉しい話でした。最近知ったのですが、EPではなくLPMだったそうです。

1回目のESDに向けて検査、また検査

大学病院って、誰に診てもらうべきか迷いませんか? 紹介状に書いてあればその先生なんでしょうけれど、そうでない場合。僕は、教授に診てもらうのがなにか恐れ多くって、准教授の日を選んでいきました。 2012年5月1日、朝8時頃に予約なしで行ったのですが、呼ばれたのは11時頃。「基本的に予約の患者さんしか診ないんですよねぇー」と言われたあと、すぐに別室でものすごい若い先生とのお話に変わりました(Y先生)。Y先生に「これは癌なんですか」と聞くと、「癌ではないが、癌に準じた治療をする」とのこと。で「根治・完治するんですか?」と聞くと「します」と。若いのにとても頼もしく感じたのを覚えています。以降、当日を含め、ばたばたと検査の予約を入れてもらいました。8年近く前なのできちんとは覚えていないのですが: - 運動能力(トレッドミルの上を走ったような記憶がかすかに…) - 肺活量 - 肺レントゲン - 血液検査 あたりがその日(5月1日)のうちにあり、そのほか、頚部エコー、EUS(超音波内視鏡)、注腸検査(バリウムでやる大腸検査)、鼻から管入れてやる喉・食道のバリウム検査などがありました。つらかったのは注腸検査とバリウム検査ですかね。どちらもY先生がやってくださったのは、なにか安心感がありました。EUSのときから、内視鏡やるときは鎮静剤で寝てしまうのが普通になりました。そういえば、5月1日のうちに入院の申し込みをし、日程は後日決めますということをやったのも覚えてます。このときの検査がつらかったことが、2回目のESDのときと関連してきます。 4月末にヨードかけた普通の内視鏡から時間をできるだけ空けるという意味で、最後の検査は普通の内視鏡でした。 その後、5月の末に教授先生の予約があり、お話をうかがいました。「よくこんなのが人間ドックでみつかったねぇー」という評価で、ラッキーだったような感じでした。お見立ては転移なしで、ESD適応とのこと。このとき、子供は小学校2年生で、放課後教室みたいなので見てもらっていたのですが、教授先生の午後の約束なのでものすごく遅くなってしまい、ESDの説明には妻は立ち会えず、若い先生に怒られながら、ひとりでESDの内容をききました。 手術日は教授先生と決めたのですが、6月の半ばにどうしても外せない用事があったこともあり、6月下旬にESD

食道・胃外科を見つける

病理の結果を聞きに行く日まで間があったので、食道がんだったときにどこに紹介してもらうかを調べ始めました。白血球のことがあるので、同じ病院であればいいと思ったのですが、食道がんの治療成績がよくないと意味がないので、きちんと調べようと思ったのです。 結果、その大学病院の食道・胃外科というのがものすごくまともで、実績もあるようだったので、そこに紹介してもらおうと思いました。それで、ドック後の外来に行ったのです。 病理の結果は、食道の高度異形成(High Grade Dysplasia)でした。ドックの先生は「消化器内科だったらどこでも紹介しますよ」という話だったのですが、そのときは原則としてESDは内科、手術が外科ということも知らず、自分で調べてきた、かかりつけ大学病院の食道・胃外科に紹介状を書いてもらいました。 たまたまなのですが、この大学病院では、消化器内科と食道・胃外科が、それぞれ独立して、それぞれ食道ESDを手掛けていたので、結果として、外科でもよかったのですが、それを知ったのはもっとずーっと後、2度目のESDのときでした。

人間ドックで異変発見

2010年4月末に、5年ちょっと勤めていた勤務先の人減らし(形式的には早期退職に応募)に遭遇、健保は任意継続していたので、同年11月の再就職前に人間ドックは受けましたが、そのときはバリウムにしてました。新しい職場は結構な非人間的なところで、人間ドックを受けるような雰囲気ではなかったのですが、さすがに年齢も年齢だし(当時45歳)、2012年のGW前の土曜日に人間ドックを受けることにしました。 久しぶりの胃カメラで、前回は苦しかったけれどそれなりに我慢できたのですが、このときは大変でした。というのも、食道でなにか見つけたらしく、ヨード液は使うは、しっかり見るから時間は長いわ、組織は取るはで、とてもつらかったのを覚えています。組織取っていたので、胃カメラ終了後に外来の予約を入れてもらいました。ドック終了後の飯が、組織取った人は別献立になっていたのもまいりました。 始まった時間が遅い人は、医師との面談までものすごく時間があくので、日比谷線で秋葉原にいき、iPodを買ったのも覚えてます。  

腫瘍マーカーの上昇

白血球が少ないということで、血液内科で経過観察をしていたのですが、あるとき体液に血が混じっていることに気付き、あわてて同じ病院の泌尿器科に行きました。父親が2008年の3月に前立腺がんで亡くなっていたので、PSAは人間ドックのときに診てもらっていたのですが、さすがにこのときは焦りました。 PSA値も上がっていたため、泌尿器科の先生とは、いったん、前立腺の検査をしてもらうことにしたのですが、数週間前の人間ドックのPSA値を言ったところ、その検査は不要とのこと。 実際、その後PSA値は下がり、おそらく前立腺炎だったのでしょう。 血液内科の主治医の先生がこの件を心配してくださって、いつもの血液検査にいくつか項目を追加するようになりました。その中にCEAがあったのですが、これが、上昇し続けるわけではないのだけれど、いつも少し高めに出てたんですね。それで、同じ先生が、同じ大学病院の別院みたいなところでも診察をしているので、そちらでPETとCTをしてくださるということになりました。 2011年の初夏だったのですが、結論的には、PETでもCTでもなにも出てこず、とりあえずは心配しないようにしようということになりました。

2度目の骨髄検査へ

2001年に入った会社が加盟していた健康保険は支援がすごく充実していて、人間ドックを受けるようになりました。毎回「白血球が少ない」といわれるものの、それ以外に悪いところはないので放置していました。 2004年5月に子供が生まれ、転職していたので自分で人間ドックを受けなくてはならなくなったので、2005年1月に近所の大き目の病院で人間ドックを受け、「血液以外は100点」と相変わらずだったのですが、たまにはちゃんと診てもらうかと思い、自分で探して大学病院に行きました。血液内科はすぐには診てもらえず、まずは総合診療科というところに行かされるのですが、白血球が少ないのは相変わらずなので、2度目で血液内科に回してもらいました。 そこで、当然のように骨髄検査になったわけですが、このときは腰の骨でした。 結果は、やはり異形成なしで、染色体検査もしてもらったのですが、原因不明。要は体質でしょという話と、WBC2000前後では生活に支障がないので、経過観察となりました。ちなみに、ここから15年間、再度の骨髄検査はありません。

白血球がものすごく少ない

高校生のときに献血をしたことがありましたが、そのときは特になにも言われませんでした。 社会人3年目の1991年、職場ではほとんど役立たず状態で、1週間夏休みをとるという雰囲気ではなかったので、秋分の日とくっつけて帰省しました。帰省中40度近い熱が出て、親が、休日診療している比較的大きめの病院に連れて行ってくれましたが、待合室でもベンチで寝ているような状況。そのときに血液検査をして、白血球が少ないので、東京に戻ったらきちんと検査を受けるようにと言われました。本人には言われなかったのですが、親には、白血病の可能性があると言われていたそうです。 東京に戻り、まず近所のクリニックで健康診断を受け、やはり白血球が少ないので、大学病院を紹介されました。 その大学病院では、胸の骨から骨髄検査をし、結果は2週間後。骨髄検査をしたその日の夜に、お客さんをカラオケに行ったことを妙に覚えています。 当時はインターネットなどなく、なにを聞けばいいのかもまったくわからなかったのですが、結論は「経過観察」でした。おそらく、異形成は見つからないし、また、少ないといってもWBCが2000前後であれば生きていく上では支障がないので、それ以上のことはしないということだったのでしょう。 その後は、アトピーになったときにかかった皮膚科の先生が、血液検査もしてくれたのでたまに見てましたが、増えも減りもせず、93年ぐらいから気にしなくなりました。ただ、大学のサークルの1つ下の後輩が白血病になったとき、ドナーになり得ないんだろうなと思ったことは覚えてます。

はじめまして(自己紹介)

がんになったらブログを始めることになっているようなので、僕もやってみることにしました。自身の備忘のためもありますが、手術が必要だと言われて、僕自身、多くのブログを拝見したものですから、もしかすると同じような環境の人のなにかの役に立つかもと思ってます。 自己紹介はこんな感じです: - 昭和42(1967)年の早生まれ → 丙午と同じ学年 - 知多半島出身 - 名古屋市内の中学・高校 - 多摩地区の国立大学・文系 - バブル入社 - 外資系金融が長い - 苦手な食べ物 → いくら、うに、からすみ、カズノコ、白子、生ガキ、アボカド、鮑、トロ、生肉、フォアグラ、キャビア、とろろ(おろし長芋)、青魚の刺身、生のサーモン/鮭、川魚(うなぎは別) - 1991年 白血球が少ないことがわかる - 2005年以来、大学病院の血液内科で経過観察 - 2012年4月 人間ドックで、食道に(当時の言い方で)高度異形成見つかる - 2012年6月 大学病院で食道ESD - 2019年6月 精密検査の病理で食道がんの疑い指摘 - 2019年9月 再検査 - 2019年10月 食道がんの診断 - 2019年11月末 食道ESD - 2019年12月 ESD後の病理でpSM2(最深部1100μm)指摘 - 2019年1月 セカンド・オピニオン、病理セカンド・オピニオン - 2020年2月3日 転院・初外来 - 2020年2月26日 食道亜全摘2領域郭清・胃温存回結腸間置手術 - 2020年3月11日 退院